2003.2.22

 
  小谷三志(鳩ケ谷市)
  水谷勇三
   

富士講は江戸中期を中心に、全国的に盛んになった富士山信仰である。往時は御師(おし)がいて、参加者を募り、宿泊の斡旋、登山の案内をした。今日の旅行代理店である。富士山へ行けない人は神社に富士塚を築き、これに登った。富士塚は埼玉 県が300基と一番多く、所沢の荒幡富士などが有名である。 小谷三志は明和2年(1765)鳩ケ谷宿に代々続く麹屋の長男として生まれた。30代に富士講鳩ヶ谷講の先達となった。当時の富士講は、形式的な富士登山と加持祈祷に堕していたが、小谷三志は教理を体系化し思想ではなく生活の実践として改革し、富士講中興の祖といわれている。 彼の教えは家内睦まじくその業に励み、質素な生活をして余財は世の救難の資に供し、公共事業を無償の奉仕でおこなうことで、人の世の目的は世のため人のために尽くすことにあるとした。 彼の銘は「恩礼 朝夕に是を忘れ給ふな」である。

 

 
 
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